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生多目(いくため)さん

Posted by 友進 on 23.2011
Category : 建築
今の若い職人さん達はギャンブルと言えばパチンコやスロットぐらいしかやらないと思うが、昔の職人さん達は千円でもあれば競馬や競輪場に行ってしまうギャンブル狂の人達がほとんどだった。
昔は現場での一服の時間も詰所で花札をやっている人達で賑わっていた。もちろんお金を賭けて。
しかし今では現場もうるさくなり、現場での賭け事等は一切禁止になっている。
今の若い子たちなんかは一服になると皆車に行きPSPやDS、携帯ゲームなどをして遊んでいる姿をよく見かける。 少し淋しい気もするが、今の景気では皆ギャンブルなどしている暇などないだろう。
まぁそんなギャンブル狂の職人さんの話になるのだけれど、昔親父のところで働いていた職人さんで生多目(いくため)さんという人がいた。
オレが当時18歳ぐらいで、生多目さんは30後半ぐらいだったと思う。珍しい名前だったので今でもよく覚えている。
髪が思いっきり天然パーマで自然に石立鉄男のようなアフロが出来上がっており、歯も上下ほとんどが抜け落ちており4本ぐらいしか肉眼では確認できなかった。身長が160ぐらいしかなかったと思うが、メチャメチャ筋肉質でいつも白のタンクトップに黒のジョッパ―(昔流行った裾が詰まっているダボダボのスウェットの様なパンツ)という坂本一生を無理矢理小さいロボットにしたような容姿だった。
そんな生多目さんがスロット狂だったのである。部屋にはパチンコ雑誌が散乱しており、オレもよくスロットの話を聞かされた。
現場にあるベニヤ板をノコギリでスロットの形に切り、それを家に持ち帰り手書きでWINKLEと書き殴っては目押しの練習だと言ってはひたすら親指をベニヤ板に打ち続けていた・・・。
まぁ頭の弱い人だと言えばそれまでなのだが、そんな生多目さんがウチに初めて面接に来た時の話。
面接が終わり親父が「どうせ晩飯くってないんだろうから食っていけ!」と言い、オレの目の前で生多目さんがメシを食べる事になった。
食べ始めてしばらくすると生多目さんが「ウ~ンッ」と言いながらご飯やおかずをギュッ~と自分の自分の胸に抱え込み後ろにひっくり返って倒れてしまった。
オレは焦り「親父!生多目さんがメシを詰まらせた!!」と言い親父達を呼んだ。
親父は生多目さんの口から無理矢理メシをかき出すと「おいっ、お前ら足持て!」と他の職人さんに足を持たせ逆さにし背中をバンバン叩き出した。 
「詰まってねぇな・・。」と言うと今度は「おーいっ、生多目君っ!」と呼びながら頬っぺたをバシバシ叩き始めた。 
すると目を覚ました生多目さんが一言 「すんません、俺テンカン持ちなんです・・・。」
親父は「最初に言っとけバカ野郎っ!!!」と言い行ってしまったが、オレは笑いを堪えるのに必死だった。
そんな生多目さんがパチンコ屋でひっくり返る事も度々あったらしく、決まって777を出した瞬間にひっくり返っていたそうである。オレも何回か見かけたが、恥ずかしいから他人のフリをしてパチンコ屋から出て行った。
あと他の職人さんに聞いた話なのだが、一回運転手に急に休まれしょうがなく唯一免許を持っていた生多目さんの運転で現場に向かう事があったらしい。
皆さすがに運転中にはならないだろう(テンカンが)と思って現場に向かっていたら生多目さんが急に「ウ~ンっ」と言いだし、高速道路を走っている最中にテンカンを起こしたらしい。皆相当焦ったらしく車の中はパニックになっていたという。
なんとか助手席の人がハンドルを持ち路肩に寄せて大事には至らなかったらしいが、その人いわく「生きた心地がしなかった」と言っていた。
そんな生多目さんだったがパチンコ屋で何回もひっくり返るもんだから近くのパチンコ屋はすべて出禁になり、それと同時にウチの会社も辞めてしまった。
スロットをやるために働いていたような人だったがとても優しいいい人だった。
それから何年かの月日が流れたある日。風のうわさで生多目さんが足場の上でテンカンを起こし落ちて亡くなってしまったという話を聞いた。
なぜか悲しみよりも フフっ という笑いの方が先に出てきてしまった。
今頃天国でしこたま777をだしひっくり返っている事だと思う。




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現場の便所

Posted by 友進 on 22.2011
Category : 建築
そう・・。現場の便所・・・。
今となってはほとんどが水洗だが、オレが二十歳ぐらいの時はほとんどが汲み取り式の簡易トイレしかなかった。
今でもたまに見かけるが、あのトイレだけは気合を入れて入らないとホントに大変な事になってしまう。
たぶん叶姉妹あたりを入れたら顔と体が元通りになってでてきてしまうだろう。
冬はまだ我慢できるのだが夏。汚い話になってしまうが夏のトイレの壁にはウジ虫が這っており、2センチぐらいのハエがブンブン飛び回っている。強力な薬品も置いてあるのだが、それを使う勇気もない。だが、現場で便を催すとどうしてもそのミラクルワールドへ足を踏み入れなければならない。
だがベテランになると限界まで我慢し、息を大きく吸い込みそのミラクルワールドに入って一気に放出する。そして手の動きが見えないような早さで尻を拭きわずか2分足らずで事を済ませてしまうという神業をやってのける人もいるという。しかもその間息継ぎなし・・・。本物である。 オレはそんな人見たことないが・・・。
まぁそれぐらい現場の便所というのは悲惨な事になっているのだけれど、オレが19ぐらいの時の話。
その当時バイトに来ていた仲間が2人いたのだが、その1人の大輔という奴が「ウンコしてくる!」と言って便所に行った。そいつは身長が180以上もあり体格がかなりよかった。
オレがもう一人の カリ ってアダナの奴に(あだ名の由来:ちんちんのかりくびがデカかったから・・。)「便所のドア開けちゃえよっ!」とふざけて言った。(若かったからね)カリは体が細く腕っ節も弱かった為、大輔も怖かったがオレの言う事も断れなかった。
オレは「大丈夫だよ!怒ったらオレのせいにしていいからっ!」と言いカリに無理矢理ドアを開けさせた。(現場便所のドアは力一杯引っ張ると簡単に開いたのだ)
すると開けたはずのカリが逆に「ウオォ!!!」と言って逆に驚いていた。
オレは何事かと思い近くに行って見てみると、大輔がこっちを向いてウンコをしていた。カリもまさかこっちをみてウンコをしていると思わないから、開けられた本人以上に驚いてしまったのである。
そりゃそうだろう。背を向けていると思いドアを開けたらいきなり眼と眼が合うのだから・・。
オレはなんで逆を向いてウンコをしていたのか聞くと、体がでかい人は現場便所だと普通に座ったら膝が壁にぶつかってしまい、後ろの方にしゃがまないと用を足せないのだという。しかもそうするとウンコがはみ出してしまうから自分なりに気を使って用を足しているのだという。
「ふ~ん・・。」と感心しているオレの後ろでカリがボコボコに殴られていました。



メシ

Posted by 友進 on 22.2011
Category : 家族
中2ぐらいまでオレは、朝晩とメシを食う時はウチで働く職人さん達と一緒に食べていた。
今思い出すとオレはその職人さん達に可愛がられこずかいを貰ったり、面白い話を聞かされたりと楽しい思い出がいっぱいあるのだが、当時のオレはその職人さん達とメシを食べるのがホントに嫌だった。
なんでそんなに嫌だったのかと言うと、職人さんと使う箸が一緒だったり年配の人もいたのでご飯が口からポロポロ落ちるのを見たりとそういう事が堪らなく嫌だった。
なにより当時住んでいた狭いアパート(2部屋しかない・・)に皆集まってメシを食べるので、朝などオレが寝ている周りで皆メシを食べている。そうすると皆の口から落ちてきたご飯粒などがオレの顔にダイレクトに落ちてくるので、寝ぼけているオレは自らなんの抵抗もなくそのご飯粒を口に入れ食べてしまうという自然にハードコアな人間残飯処理機が出来上がってしまったのである。そんなものを食べている自分に気付き、飛び起きて便所で泣きながら文句を言っている自分を見て職人さん達が笑うというパターンが出来上がっていた・・・。
職人さん達の喧嘩を見るのもやはりメシ時で、「朝っぱらからお前の顔はなんだっ!」と訳のわからない事を言って揉めてたり、移動車の座る場所で揉めてたりと、揉めている内容が幼稚園生以下だった。
晩メシの時がやはりひどく、皆帰ってきたら酒を飲むのでそのまま戦闘モードに突入。
酒というガソリンが入っているので親父に喧嘩を売る職人さんもいたりして、警察沙汰になることも度々あった。
まぁ皆毎日飲んで親父に怒鳴られスゴスゴと寮に帰っていくという毎日がこの繰り返しだった。
そして今でもオレのトラウマになっている話がここからなのだが、(ミッキーマウスが好きな人は観覧注意。)
オレが当時小4ぐらいの時の晩メシ時。 オレも含み職人さん達と晩メシを食っていると、天井からガタガタッという音がした。みんな「なんだ?」と天井を見ていると、突然バタッという音と共に1匹のネズミがテーブルの上に落ちてきた。すかさずそれを1人の職人さんが素手で掴み「親父~、ビニール袋くれ~」と、なんの動揺も見せずに言った。親父が「ほら、入れろ。」と言い、ビニール袋の中に職人さんがそのネズミを袋の中に入れると、親父がいきなりネズミが入ったそのビニール袋を晩ご飯のおかずが並んでいるテーブルにビタンッ、ビタンッ、と真顔で叩きつけていた。小学生のオレはその目の前で晩メシを食べている最中なのである・・・。
そのビニール袋が赤く染まったころ親父は無言でそのビニール袋をゴミ箱に捨て、再びメシを食い始めた・・・。
もちろんオレは食欲がなくなりそのまま隣の部屋に行きその部屋からそのネズミが入ったゴミ箱を見つめていたのだが、他の職人さんは何事もなかったようにそのまま晩メシを食べ続けていた。
こんなんだからあの人達とメシを食べるのが嫌いになったんだと思う。
ちなみにオレは今でもご飯の事を メシ と言う癖が抜けない。あのおバカな職人さん達や親父がそう言っていたかも知れない。
オレは今でも現場で働く職人さん達が大好きだ。嫌なことがあってイライラしている時でも歯の抜けたおっちゃんの笑った顔や、そんなおっちゃん達のつまらない昔話を聞くとそんな事を忘れて一緒に笑っている自分がいる。(まぁホントにどうしようもない職人もなかにはいるが・・・)
まぁそんなフォローを入れてこの話を終ろうと思う。

親父と兄貴2

Posted by 友進 on 16.2011
Category : 家族
そんなおバカな親父と英二兄ちゃんなのだが、もうひとつ悲しいお話がある。
オレが小5の時の出来事だ。 親父が急に「お前にもそろそろ家庭教師を付けなきゃいかんな~。」などと言ってきた。 当時オレの家は1階がスナックの2部屋しかないボロボロのアパートだった。お袋と親父がいつも金の事で喧嘩していたし、経済的に家庭教師など付ける余裕がないことは小学生のオレでも分かっていた。
しかしまぁそんな親父だったのでオレとお袋の反対は簡単にスル―されオレは受けたくもない家庭教師を受ける事になってしまった。
「明日学校から帰ってきたら桑原さんの家に行ってこいよ!」と親父に言われた。 なんとその家庭教師というのは同じアパートの3軒隣に住んでいる当時高校生だった桑原のお姉ちゃんだった。
桑原さんという人はその半年くらい前に越してきた母子家庭の親子で、オレは小学生ながらもその娘の桑原のお姉ちゃんに(綺麗なお姉さんだな~)と、憧れの様なものを抱いていた。
ここで再び英二兄ちゃんの登場である。
兄貴も越してきてから女っ気というものが全くなく、相当悶々としたものが溜まっていたのであろう。小学生のオレにでも分かるアプローチを桑原のお姉ちゃんに仕掛けていた。
まずお姉ちゃんが出掛けるのをオレと遊んでいるフリをしてアパートの下で待っている。お姉ちゃんがアパートの階段を下りてくるとおもむろに煙草を吸い始め、ポケットからグラサンを取り出し(コンビニで売ってる安いやつ)それをすかさずア・ホーマンスの松田優作のように装着。
兄貴的にはヤンキーを気取ってアプローチを仕掛けているのだが、はたから見たらグラサンを掛けくわえ煙草で小学生とサッカーボールを蹴って遊んでいる18歳。どう見てもアブナイ奴にしかみえないのである・・。
お姉ちゃんに「こんにちは!」と挨拶されると 『どうも・・・。』と、まるで売れないミュージシャンのような返事をくりだしながら煙草を指ではじき飛ばすという、まるで往年の火野正平の様なスタイルでサッカーボールを蹴飛ばしていた・・。
そんな兄貴が桑原のお姉ちゃんの目に止まる訳がなくそのまま半年ぐらいの時が経ったある日のこと。
オレが学校から帰ってくるとウチの玄関先でお袋と親父、そして桑原のお母さんがなにやら揉めていた。話を聞いていると、 桑母『アンタの旦那がしつこいからじゃないのっ!!』 オレ母「何言ってんだこのドロボー猫!!!」など小学生のオレにも一発で分かる言い争いをしていた。
その隣で親父が「もういいじゃねえか、やっちまったもんは!」と、まるで他人事の様な事を言い始め2人から責められていた。
そう、なんと親父は桑原親子が越してきてからすぐにそのお母さんと男と女の関係になり、そのお母さんにいい顔をしたいが為にオレをダシに使い家庭教師という事で金を貢いでいたのである。
もちろん全てお袋にバレてしまい親父と桑母の関係も終わり、オレとお姉ちゃんの甘い個人レッスンの時間も終わってしまった。
が、まだこれだけでは終わらなかった。
オレは夏休みや冬休みなど長い休みに入ると、小学生ながらも親父の仕事を手伝っていた。(昔は小学生でも現場に入れたからね。今じゃありえないけど。)
そして朝親父と英二兄ちゃん、従業員の職人さん達と現場に向かっていた。そこでの親父と職人さんとの会話です。

従A『いや~、親父もよくやるよな~!普通隣に住んでる母ちゃんやんねーべよっ!」

親父『いや~、あんなに早くバレると思わねーからよ!参ったよ!!わっはっはっは!!」

従B『でもあれだべ? あっちの方はバレてねーんだべ?』

親父『当たり前だろっ!バレたら大変だよ!!お前ら冗談でも言うんじゃねーぞっ!!!わっはっはっは!』

子供の前でも平気でそういう会話をする。それだけでも殺したくなるような親父なのだが、その後の会話でオレも英二兄ちゃんも愕然となった。

親父『でもあれだな!やっぱり若いってのは肌が違うな。うんっ。なんか吸いつくってゆーかな・・。お前らもたまには若いのとヤッタほーがいいぞっ!!わっはっはっはっは!!!』

従B『違うぞって言われたってなかなか高校生なんかとは知り合えねーからな~。』

従A『親父もヤベーよな~!俺もさすがに親子どんぶりはねーよっ!しかも高校生だろ?ヤベ~よな~!!』

オレ・英二 『・・・・・・・・。』

そう、なんと親父は桑原のお姉ちゃんにまで手を出していたのである。
親父は現場に着くまでに何回もその話を繰り返し従業員達に自慢していた。
オレは ハッ と兄貴の事を思い出し後ろに座っていた英二兄ちゃんを振り返った。
英二兄ちゃんはグラサンを掛けて窓の外をずっと見ていた。
グラサンから涙が流れていた。

親父と兄貴

Posted by 友進 on 13.2011
Category : 家族
元々オレの親父が職人をしていた。
昔気質の破天荒な親父で、女、金にだらしなくお袋も散々泣かされていた。
でも現場が好きな人で、仕事だけは毎日していたし、周りの職人さんが「あの親父は薬でもやってんのか?」と言うほどパワフルに仕事をしていた人だった。体は細いけど筋肉質で、女遊びするだけあって顔もまあまあ見れるほうだった。(多少いかりや長介に似ていたけど・・・)
そんな親父の話になるのだが、オレが小4の時に突然現れた2人の兄貴。
「今日から一緒に暮らすからな!」と親父に言われ呆然とするお袋とオレ。なんでも親父が昔の女と作った子供らしいのだが、さすがに「はい、分かりました。」とお袋も言うわけがない。お互い散々喚き散らした挙句お袋も折れるしかなく、結局2人は無理だと言う事で長男の兄貴は親父の妹が面倒見ることになり、二男の英二兄ちゃんと暮らすことになった。
オレはそれまで一人っ子だったので、当時16歳のお兄ちゃんが出来たことがたまらなく嬉しかった。
当時小4だったオレにも優しくしてくれ、いろんな事を教えてくれた。今のオレのエロ知識はすべて英二兄ちゃんから受け継いだものだ。 顔立ちも良く少しハーフっぽい感じで、なかなかの色男だった。
だがやる事がすべて抜けていた・・。
まぁそんな親父の下で英二兄ちゃんも働くことになるのだが、働き出してしばらくたったある日のこと。
英二兄ちゃんがバイクの免許を取り、「働いて少しずつお金を返していくからバイクを買って欲しい。」と親父に頼んでいた。親父は「分かった。」とだけ言い、仕事道具を片付けていた。
それからというもの、英二兄ちゃんのテンションの上がりっぷりはハンパじゃなかった。
バイクの事など何一つ分からないオレにバイク雑誌を見せつけ、「これをよ~直管にするべ~、で3段シート付けてよ~」と、まるで子供が初めて超合金の玩具を与えられた時のような笑みを浮かべ、しきりにオレに話しかけてくる始末だった。
でもオレはそんな浮かれている英二兄ちゃんを見ていてなぜか自分も嬉しくなっていた。
そんなある日のこと、親父が「英二呼んで来い!下の道路にいるからな!」と言われたのでオレは英二兄ちゃんを呼びに行き、2人で親父の待つ場所に行った。
そこにはトラックに積まれた真新しいバイク。親父が上機嫌で「オウっ英二、乗ってみろ!!」と言っているのだが、英二兄ちゃんはうつむき加減で「うん・・・。」としか言わなかった。
それもそのはず、オレが雑誌でみたバイクとは違い、英二兄ちゃんは暴走族が乗る様な渋めのバイクを欲しがっていたのだが、そこにあったのは仮面ライダーが乗る様な思いっきりレーシーなバイク・・・。
なんと親父はサプライズ的な気持で兄貴を喜ばせようとしていたのだが、さすがに自分の趣味とは違うバイクとなると英二兄ちゃんも「ありがとう!!」などと言える訳がなかった。
しかしそこで、「こんなのじゃねーよ!オレはこうゆーのが欲しかったんだよっ!」などと言ってしまうと、親父はバールか何かでバイクを粉々にしてしまうのはオレも英二兄ちゃんも分かっていた。
そうゆう親父だったのだ・・・。
親父が、「ほらっ、英二乗ってみろ!!」という問いかけに兄貴は目に涙を浮かべ「いや、今はいいよ・・・。」と言うのが精いっぱいだった。
オレは英二兄ちゃんの気持が痛いほど分かった為親父を睨みつけていると、「なんだ、お前も乗りたいのか!よしっ!後ろに乗ってみろ!!」と言い放ちオレを後ろに乗っけて親父の運転で走り出した。
みんなここで勘違いしてはいけない。息子をバイクに乗っけてドライブしてくれる優しいお父さん。そんな生易しいものではない。
その時の親父の服装は夏だったこともあるが、ランニングシャツにパンツ。そして雪駄という服装というか下着しか身に着けていない状態だった。挙句の果てに腕には昔自分で彫ったとみられる 死 という落書きのような刺青・・・
そんな状態で町内をグルグル周り始めたので、オレはそんな姿を同じ小学校の友達に見られるのが怖くなり親父の背中に顔を押し付け顔を隠していた。 しかし無駄な抵抗とはよく言ったもので、次の日学校に行くとアダ名が 【汚れた英雄】 に変わっていた・・。
そんな英二兄ちゃんだったが、あきらめてそのバイクに乗るしかなくなり、気持を無理やり走り屋タイプに切り替え地元の峠に攻めに行っていた。もちろんそんな慣れないことをするもんだから買って1カ月で事故ってしまいバイクは廃車に。 その後一生懸命働き続けバイクのローンを親父に返していました・・・。

はじめまして。

Posted by 友進 on 13.2011
Category : 建築
オレは型枠解体工という仕事をしている。あまり聞いたことがないと思うが、ビルやマンションを建てる際に木枠
を外す仕事だ。もう少し丁寧に説明すると、まず鉄筋屋さんが建物の形に鉄筋を組む。その次に型枠大工さんがそ
の鉄筋の周りに木枠を組んでいく。そしてその木枠が外れないようにパイプなどでその木枠を締め付けた後で木枠
の中にコンクリートを流し込む。1~3日経ってそのコンクリートが固まったらオレ達解体工がその木枠を外してい
くという仕事だ。もちろんこの他にも墨だし屋さんや土工さん、設備屋さん、電気屋さんなどいろんな業者さん達
が建築には関わっている。 で、自分で言うのもなんだがこの型枠解体工という仕事が肉体的に相当キツイ(涙)
姉〇(ズラ)事件、リーマンショックと色々な問題が起こり、今工事現場で働いている者には血のションベンが出
るほどツライ状況になっている。 2011年現在。状況はあまり変わらず良くなる兆しはまったくない。
今まで日当1万5千円~2万円で働いていた人が今では8千円~1万円。残業代などはもちろんでない。
辞めたくても皆家庭があるからそう簡単には辞められない。
言い方悪いけど、この世界では勉強が出来なくて、会社勤めが出来なくて職人始めた人たちがほとんどだと思う。
そんな理由で始めた人たちだって今じゃ職人一筋。皆、若い奴等だってプライド持って頑張っている。
けど職人の仕事はハードだ。別に他の仕事は楽だとか言っているのではない。さっきも言った通り肉体的に相当キ
ツイのだ・・・。
現場での仕事は朝の8時~18時まで。けれど朝は移動の時間があるから遅くても朝6時には集合して現場に向か
わなければならない。現場の場所は様々だから多少前後はあるけれど、仕事が終わり家に着くのは大体20時ぐら
い。これで日当が8千円~1万円。相当キツイと思う。 じゃあ辞めればいいじゃんと思う人もいると思うが、さ
っきも言った通り皆そう簡単には辞めれないのだ。
従業員達も大変だが、親方達だってもっと大変だと思う。請負単価が安くても仕事を切らすわけにはいかないから
仕事を取る。赤字が出る。給料を支払わなければならないが資金が足りないため銀行やら国金やらでお金を借り
る。返せなくなる。会社が潰れる。 こんなお決まりのパターンをもういくつも見てきた。っていうか俺自身会社
を経営してきたがもうお手上げだ。(泣)
けど建築業界に限らず今は皆大変なんだよね!
ツライ事ばかり書いてしまったが、そんな中でも楽しい事や笑える事を見つけ出し仕事をしていかないとオレ自身
潰れてしまうと思うので日々笑えるように頑張っています。
このブログはそんな工事現場で働いているオレやオレの家族。現場で出会った人達。オレの周りの仲間たちの話を
していきたい。 そしてこれを読んでくれた人が少しでも笑ってくれれば幸せです。
建築業界が、いや、日本中があの頃の賑わいを取り戻すために・・・ってこんな話じゃなる訳ないけど







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